「星の降る夜に」 ----------------------------------------------------------------------  雨の降りしきる夏の夕暮れ時だった。  世間はもうじき夏休みだったが、りゅうのすけは3ヶ月前に高校を卒業、結 局 進路は決まらず、毎日が夏休みのようなものだった。  アルバイトの帰り、りゅうのすけは花園保育園の前を通りがかった。そこに は雨の中、ピンク色の傘をさしたままじっとしている愛美の姿があった。 「愛美さん、どうしたの?」 「あ、りゅうのすけさん・・・」  愛美の視線を追うと、園児とおぼしき子供がレインコートを着て空をじっと 見上げていた。フードをかぶってはいるものの、空を見上げる顔は雨に濡れ、 前髪は額にぺったりとはりついていたが、それでも身動きひとつせず空を見つ めていた。 「どうしたの?あの子・・・」 「さゆりちゃん、流れ星にお願いするって聞かなくて・・・」 「なんでまた?」 「お遊戯の時間に流れ星にお願いするお話をしたんです。そしたら・・・」 「そっか・・・でもこの雨、止みそうにないぜ」 「私もそう言ったんですけど・・・」  愛美は心配そうな表情でさゆりをじっと見つめている。  りゅうのすけは一計を案じると、さゆりに歩み寄った。 「さゆりちゃん?」  不意に声をかけられて驚いたのだろう、さゆりはりゅうのすけをじっと見つ めた。 「だれ?おにいちゃん・・・」 「お兄ちゃんか?お兄ちゃんは愛美先生のお友達でりゅうのすけっていうんだ 。さゆりちゃん、流れ星を待ってるの?」 「うん」  そういうと、さゆりは再び雲に覆われた空に目を戻した。 「お願いがあるんだ?」 「うん」 「愛美先生も心配してるよ。明日晴れたらお兄ちゃんが流れ星を流してあげる から。今日はもうおうちに帰ろう、な?」 「ほんとに?」 「ああ、本当だよ・・・そうだ、さゆりちゃん、明日晴れるようにテルテル坊 主作ってくれるかい?」 「うん、わかった。さゆり、てるてるぼーず、いーっぱいつくるからね。おに いちゃん、やくそくだよ」 「ああ。指切りだ」 「ゆーきーりげーんまーん うそついたらはりせんぼん のーます!」     §  §  § 「ただいまー」  さゆりと愛美を送ってりゅうのすけが家に帰りついたのは、9時を少し回っ たところだった。愛美は、さゆりを送ったついでに明日の夜もいっしょに保育 園で星を見ることの了解をもらった。さゆりの両親はわがままに付き合わせて しまって、と恐縮していた。  りゅうのすけが玄関からそのまま2階に上がろうとすると、美佐子が奥から 声を掛けた。 「りゅうのすけ君、おかえりなさい。ちょうどよかった。安田さんって方から 電話よ」 「愛美さんから?あ、うん、部屋で取るよ」 りゅうのすけは部屋に入って電話を取った。 「はい、りゅうのすけです」 「愛美です・・・」 「どうしたの?」 「あの・・・大丈夫ですか?あんなこと約束しちゃって・・・」 愛美の心配そうな表情が電話越しに見えるようだ。 「まあね。まかせといてよ」 「子供って、嘘をつかれるのが一番傷つくんです・・・」 さすがに流れ星を流してあげるというのは信用されるわけもなかった。まし て愛美は分別ある大人である。信じろという方が無茶というものだ。愛美に心 配をかけるわけにはいかない、ちょっともったいなかったがタネを明かしてお いた方がいい・・・りゅうのすけは打ち明けることにした。 「愛美さん、実はね、流れ星はもういっぱい流れてるんだ。雨で見えないだけ でね」 「え?」 「ペルセウス座流星群って知ってる?」 返事はない。りゅうのすけは続けた。 「ちょうどこの時期になると流れ星がたくさん流れるんだ。もう昨日ぐらいか ら流れ始めてるんだけど・・・ここんとこ、ずっと雨だったからね。空が晴れ ればちゃんと流れ星が見えるってわけ」 「じゃ、りゅうのすけさん知っててあんなこと?」 「ああでも言わなきゃ夜中まであのままいたぜ、さゆりちゃん」 「そうですね」 「明日晴れるといいけど・・・」 「私もテルテル坊主作ります。りゅうのすけさんも作ってくださいね」  愛美なら本当にテルテル坊主を作るだろう。かわいらしい顔を書いてあげて 。そしてちゃんと軒先にぶら下げるに違いない。りゅうのすけは楽しそうにテ ルテル坊主を作る愛美の姿を想像した。想像してとても幸せな気分になった。  りゅうのすけが作ったテルテル坊主はタオル地のテルテル坊主だ。太いマジ ックでぐいぐいと書かれた顔はちょっと不細工だったが、テルテル坊主はりゅ うのすけの代わりに雨の降り止まぬ空を見つめ続けた・・・     §  §  §  次の日の夕刻、りゅうのすけは再び花園保育園を訪れた。愛美とさゆりは夕 焼けの中、日が暮れるのをじっと待っていた。土曜日ということもあって、さ ゆりは一度家に帰ったのだろう、かわいらしい服を着ていた。 「さゆりちゃん、晴れてよかったね」  りゅうのすけはさゆりに声を掛けた。 「てるてるぼーず、いっぱいつくったもん」 「そっか。じゃ、お兄ちゃんも流れ星をいっぱい流してあげるね」 「ほんとに?」  さゆりが目を輝かせる。 「ああ、本当だよ。暗くなったら見えるからもうちょっと待ってような」  夏の日は長い。空は一面の赤が東の方から薄れ、透き通るような濃い青に染 まり始めていたが、星が見えるにはまだ間があった。愛美は一番近いひまわり 組と書かれた教室に入ると、窓を開け、オルガンを弾き始めた。普段からよく 歌っている曲なのだろう、さゆりは教室から聞こえる愛美のオルガンに合わせ て歌を歌い始めた。愛美もそれに合わせて歌う。りゅうのすけはこの場に居合 わせたことを素直にうれしく思った。  夜の帳が降り、星がひとつ、またひとつ輝き始める。園内の明かりを消すと 、3人はブランコに座って空を見上げていた。 「ながれぼしがいっぱい・・・おにいちゃん、ほんとだったんだね」 「本当はお兄ちゃんの流れ星じゃなくてね、願い事がたくさんある人のために 、神様が特別に流れ星をいーっぱい流してくれてるんだよ」 「そらのおほしさま、なくなっちゃうよ?」  さゆりがりゅうのすけを見上げる。りゅうのすけは片膝をつくと心配そうな 表情のさゆりに微笑みながら言った。 「だいじょうぶだよ。かなったお願いは空に戻って、もう一度星になるんだ。 だからいつも空にはお星さまがいっぱいあるんだよ」  さゆりは安心したのかにっこり微笑むと再び空を見上げた。ブランコの鎖を その小さな手でぎゅっと握りしめ、一心に願い事を言う姿がいじらしく、かわ いらしかった。  りゅうのすけも愛美も、じっと息をひそめて空を駆け抜ける星々の競演に見 入っていた。  空の上で何が起こっているのか、頭ではわかっていても、それでもやはり次 から次にきらめく流れ星は美しかった。神様からのプレゼント・・・か。  やがて流星雨は一段落し、夜の空は再び静かにたたずむ星々の舞台に戻った 。 「お願いみんな言えたかい?」 「あとひとつ・・・さいごにとっておいたの・・・」  夜の闇が次第に濃くなる。もう一つ・・・じっと空を見上げるさゆりに愛美 もりゅうのすけも声を掛けることはできなかった。3人は静止して動かない空 を見つめ続けた。やがて待ちに待った流れ星が1つ、東の天の一角にきらめい たかと思うと、とびきり長い航跡を引きながら西に駆け抜けた。 「おほしさま、ひろしくんのおよめさんにしてください」  りゅうのすけと愛美はそれを聞いて顔を見合わせた。ほっとするような純真 な願いに思わず微笑みがうかぶ。  愛美はしゃがみこむと、さゆりに言った。 「よかったわね、さゆりちゃん、お願い全部言えて」 「うん」 「じゃ、帰りましょ。もう眠たいでしょ?」 「うん」  確かに幼い子にしてみれば、夜の9時はずいぶんと眠いだろう。 「よーし、じゃ、おにいちゃんが家までおんぶしてってやるよ」 「わーい、ほんとに?」 「いいんですか?りゅうのすけさん・・・子供って結構重いですよ」 「へーきへーき。愛美さんは戸締まりしてきてよ」 「はい、ちょっと待っててくださいね」  さゆりの家は保育園から15分ほどのところにある。道すがら、さゆりはり ゅうのすけの背中でスヤスヤと眠り始めた。さゆりの家につく頃には熟睡して いて、さゆりの両親は起こしてしまわないようにと苦労しながら抱き上げた。  さゆりの家を出て、愛美とりゅうのすけはようやく二人きりになった。 「りゅうのすけさん、重かったでしょ?」 「ま、ね。でも愛美さんほどじゃないから」 「もう、りゅうのすけさんったら」  少し怒ったような顔もまたかわいい、そんなことを考えながらりゅうのすけ は愛美を見つめていた。愛美はすぐに機嫌を直すとりゅうのすけに言った。 「うちに来ませんか。今日のお礼に冷たいものでもごちそうさせて下さい」 「ああ、じゃ、おじゃまするかな」  愛美の部屋はきれいに片づけられていた。一人暮らしをはじめたばかりの女 性らしく、家具はそんなに多くない。小さなテーブル、テレビ、ベッドに本棚 程度だ。本棚には児童教育関係と思われる本が並んでいる。背の低いタンスの 上にはドライフラワーと時計、鏡が置かれていた。  小さなキッチンから出てきた愛美は、氷を浮かべた麦茶のグラスを2つ持っ てきた。 「お疲れさまでしたね」 「そんなことないよ、愛美さんとあんなにロマンチックな星空を見られたんだ からね」 「本当に、素敵でしたね・・・」 「さゆりちゃんも喜んでくれたしね」 「りゅうのすけさん、保父さんの素質ありますよ」 「そうかな?ま、小さい子って結構好きだけどね」 「ところで、りゅうのすけさんは何かお願いしましたか?」 「いっぱいお願いしたけど・・・ほとんど愛美さんのことかな。愛美さんが幸 せになりますように、愛美さんがずっと元気でありますように・・・」 「わたしもりゅうのすけさんのことをお願いしたんです」  そういうと愛美はにっこりと微笑んだ。 「あと・・・」  りゅうのすけはその言葉を口にするがためらわれた。愛美はじっとりゅうの すけを見つめた。愛美は何も言わなかった。りゅうのすけの言葉をじっと待っ ているようだった。 「あと、愛美さんを幸せにできますようにって・・・」  その言葉の意味に気がついたのか、一瞬の間をおいて愛美が頬を染めた。 「今の俺じゃだめだけど・・・そうだな、本当に保父さんになるかな?そして 一人前の男になって愛美さんを幸せにしたいんだ・・・」 「愛美って呼んでください・・・」 「愛美・・・」  愛美が目を閉じる。りゅうのすけはそっと抱き寄せると唇を重ねた・・・     §  §  §  結局その晩は愛美の部屋に泊まることになった。  りゅうのすけは何かが動く気配にふと目をさますと、隣で寝ていたはずの愛 美の姿はなかった。愛美は寝間着代わりのTシャツ姿のままベッドに腰掛けて じっと窓の外を見ていた。 「おはよう」 「あ、起こしちゃった・・・ごめんなさい」 「いや、別にかまわないけど。何見てるの?」 「ほら、あれ・・・私のお願いが空に帰っていったの・・・」  夜の闇が少しずつ薄れる中、明けの明星が輝きはじめていた。 〜FIN〜