DressingRoom Doujin
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山百合捕物控

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 ここはリリアン女学園。明治三十四年の開校以来、毎年二百人近い箱入り娘
を世に送り続けている伝統あるカトリックの学びの園。幼稚舎から大学・短大
までエスカレーターで通い続ける生徒も少なくないし、そのまま先生やシスタ
ーとしてリリアンに籍を置くものもいる。また、親子二代、いや、三代にわたって
女の子はリリアンにという家もけっこうあると聞いている。
 彼女たちは日々、淑女たるべしと、スカートのプリーツを乱さぬよう、セー
ラーの襟を翻さぬよう、楚々とした振る舞いを心がける。
 だから、校内を大声を出しながら走ったりといったことはない・・・はずで
あった。

「ぎゃーーーー」
「きゃぁーーーーー」

 ふだんなら静けさがただよう夕暮れ時の校舎を、けたたましい悲鳴をあげな
がらばたばたと駆けることなど、ありえない。

(なんでこんなことに・・・)

 襟を翻しまくり、裾を乱しまくりで全力疾走しながら紅薔薇のつぼみ<ロサ・
キネンシス・アン・ブゥトン>こと福沢祐巳は考えた。


 そう、最初からいやな予感はしていたのだ。


    §    §    §

 ことの起こりは、一週間ほど前の昼休みのことだった。

「ごきげんよう」

 祐巳がいつものように薔薇の館の二階に上がり、ビスケットのような扉を開
けると、いつもとはだいぶ違った空気が漂っていた。由乃さんと祥子さまの間
に険悪な空気が流れている一方で、令さまはあきらめムード。志摩子さんはま
だ来ておらず、乃梨子ちゃんがハラハラした表情で由乃さんと祥子さまを交互
に見つめている。由乃さんがつっかかる相手は、いつもなら令さまなのに。

「このようなものを認めるわけにはいかないわ」
「どうしてですかっ」

 断固拒絶という祥子さまに由乃さんが食い下がる。
 状況が読めないまま放置されている祐巳に、令さまは黙ったままテーブルの
上に置かれた紙を取り上げると、ひらひらさせてから祐巳に手渡した。

「よろず困り事引き受けます・・・?」

 問題(?)の紙には、そう書かれていた。というか、それしか書かれていな
い。これでは何もわからない。

「これ、何ですか?」

 祐巳は、祥子さまに訊ねたが、祥子さまは不機嫌そうな顔のままむすっと口
をつぐんでいる。
 代わりに口を開いたのは由乃さん。

「祐巳さん、見てわからない?」
「いや、コピー用紙にフェルトペンで書いてある、ぐらいはわかるけど」
「そういうことじゃなくて・・・」

 いらだたしげな顔の由乃さん。そこで考えをめぐらす。書いたのが由乃さん
だということは・・・

(あー、たぶんアレだ、時代小説・・・)

 由乃さんが言うには、一般生徒の困り事に山百合会幹部が親身に対応するこ
とで、山百合会をより一般生徒に近しいものにしよう、というのが理由付けだっ
たが、それはどう考えても表向きのもので、実のところ読んだ本に感化され
たようにしか見えない。あきれた感じの令さまの顔からも、そういう気配が
ただよっているし、そもそも「よろず」なんていう言い回しが時代がかっている。
 がちゃりと入り口の扉の開く音。目をやると、「ごきげんよう」と白薔薇さ
ま<ロサ・ギガンティア>の藤堂志摩子さんが入ってきたところだった。志摩
子さんもやはり普段と違う組み合わせに、かすかにびっくりしたような表情を
浮かべている。
 そんな志摩子さんに構うふうもなく、由乃さんは祥子さまに食ってかかる。

「薔薇の館に人が来やすいようにしたいって、卒業された蓉子さまもおっしゃっ
てたじゃないですか」
「それとこれとは話が別。だいたい、私たち山百合会幹部は、個別の生徒の悩
み事やら困り事に個別対応するためにいるわけではないわ」
「でも、山百合会の会員が困っているのを黙って見ていなさいという法はない
んじゃないですか?」
「見過ごせなんて言ってないでしょう?学業面の困り事は先生方に相談すべき
ものだし、生活面なら先生かシスター、落とし物とか学内の設備面の困り事な
ら事務室、それぞれ私たちなんかよりもっと適切な方が揃っているといってい
るの」
「それはもちろんそうですが、先生方よりも、同世代の友人に相談できた方が
いい、ってこともあると思います」
「それは屁理屈というものよ。それこそ友人に相談すればいい」
「友人は近すぎて相談しづらいこともあると思いませんか」
「近すぎる相手がいやなら、シスターや先生に相談すればいいことよ」
「ですがっ!」

 そのとき、「まあまあ」と、唐突に令さまが割ってはいる。「紅薔薇さま<
ロサ・キネンシス>。頭ごなしに反対しても聞きそうにないし、とりあえずど
うだろう、期間限定・・・そうだな、二週間ぐらいかな、限定でやらせてみて
は?」

「私も黄薔薇さま<ロサ・フェティダ>も、こんなお遊びにつきあっている時
間はないんじゃありませんこと?」

 もちろん、という顔で令さまはうなずいた。

「だから、とりあえずこれはつぼみ<ブゥトン>だけでやってもらうってこと
で」
「え?」
「へ?」

 いきなり渦中に引きずり込まれた乃梨子ちゃんと祐巳がびっくりしたように
声をあげる。

「ほんとなら言い出しっぺの由乃ひとりで、と言いたいところだけど、絶対に
暴走するのが目に見えてるから。頼む、祐巳ちゃん、乃梨子ちゃん、由乃のブ
レーキになってくれないかな」
「令、勝手に祐巳や乃梨子を巻き込まないでよね」
「そうです。それに乃梨子はまだ学園に慣れてないところもあるんですから」

 祥子さまと志摩子さんが異議をとなえる。特に志摩子さんは乃梨子ちゃんを
妹にしたばかりで、気になって仕方がないのだろう。祥子さまも「令は由乃ちゃ
んには甘いんだから」といった表情だ。
 が、由乃さんはそんなことお構いなし。オッケーが出たとばかりに祐巳と乃
梨子の手を握ると、「がんばろうね」とぶんぶん振った。祐巳は乃梨子ちゃん
と目を見合わせながら、やれやれと思った。どちらにせよ、祥子さまが絶対に
ダメと言わない限り、黄薔薇さま<ロサ・フェティダ>じきじきの頼みにイヤ
ですとは言えない。それに由乃さんひとりでやらせるのは確かに不安でもあっ
た。

(まあ、リリアン女学園内の困り事なんて、そんなにあるわけ、ないわよね)

 基本的にリリアン女学園は平和で、困り事などそうそう起きはしないのだ。
令さまが切った二週間という期限のあいだに、実際に相談が持ち込まれるか
どうかすら、あやしいものだった。

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 そもそも、薔薇の館は校舎から少し離れたところにあり、普段からそれほど
人通りがあるエリアではない。だから、薔薇の館の入り口脇に貼り出された貼
り紙「よろず困り事引き受けます」に、誰も気づかないまま二週間が過ぎてし
まうのではないか・・・祐巳は密かにそう期待していた。
 しかし、その見通しは甘かった。
 翌日の放課後には、この期間限定(?)のイベント(?)について、知らな
いものはいないほどになっていたのである。
 どうやら、ゴーサインが出たあと由乃さんはクラブハウスの新聞部に直行、
そのまま新聞部にこのネタを持ち込んだらしい。新聞部発行の学校新聞「リリ
アンかわら版」は急遽差し替え。昼休みには具体的な趣旨説明や由乃さんのイ
ンタビューが掲載・配布され、放課後には、あのバレンタインデー以来の賑わ
いが薔薇の館にやってきたのであった。あろうことか、山百合会幹部もリリア
ンかわら版を読んで初めて、細かな企画趣旨や段取りを理解する始末であった。
 先生やシスター、友達に相談しづらい困り事や悩み事を、秘密厳守でつぼみ
<ブゥトン>が相談に乗ります、というのがメインの内容。まあ、ここまでは
山百合会の面々がすでに把握していたとおり。
 相談までの流れは大まかに以下のようになっている。
 まず、相談したい者は昼休みまでに内容の概略をまとめた手紙を、薔薇の館
前のポストに投函。手紙は昼休みにつぼみ<ブゥトン>が回収して、そのまま
昼休みのうちに内容を確認する。
 そして相談者は、放課後あらためて薔薇の館に出向き、面談をするというも
のだった。いきなり相談内容を切り出されても、把握するだけで時間がかかる
から、ということのようだ。

「なるほど、考えたわね」

 薔薇の館の二階でリリアンかわら版を読みながら、祥子さまが感心したよう
につぶやく。手紙に書いてまとめるということ自体が、困り事や悩み事のただ
中にいる当人にはいい効果がある、ということらしい。
 ただ、仕組みとしては考えているようだが、件数が多くなったらちょっと間
に合わないかな、という不安が祐巳にはあった。なにしろ令さまとの約束でこ
の件はつぼみ<ブゥトン>三人の仕事であり、しかも紅も黄もつぼみ<ブゥト
ン>にはまだ妹<スール>はいないのだ。あまつさえ、白のつぼみ<ブゥトン>
はまだ一年生であった。

    §    §    §

 あ、ではまずは私、福沢祐巳が相談のお手紙を拝見しますね。T子(仮名)
さんの相談内容。

「T子、今すっごく困ってることがあるんです。S子お姉さまのおそばにいた
いのに、二年生の先輩がじゃまして、お姉さまと一緒にいられないんですぅ。
このままじゃ、T子の縦ロールもしおれちゃいそう。だからぁ、じゃまっけな
二年の先輩をなんとかしてくださーーい」

・・・却下。

    §    §    §

 じゃ、次、由乃さんチェーーーク!! R(仮名)さんの相談内容〜〜

「由乃。もうそろそろやめにしないと怒るよ。部活動もあるんだし、三人でや
るって言ってて、結局祐巳ちゃんと乃梨子ちゃんに迷惑かけてるじゃない。マ
リア祭が終わったからって暇になるわけじゃないだから。学園祭の準備が動き
出すんだし、だいたい由乃は・・・」

・・・却下。

    §    §    §

 薔薇の館の二階では、つぼみ<ブゥトン>の三人が入り口脇に設置した鍵付
きポストから回収した手紙を読んでいた。

「ろくなのこないわね」

 言いながら、由乃さんはため息をつく。

「まあ、仕方ないわよ。いきなり薔薇の館に貼り紙して、困り事はない?って
聞かれたってねえ・・・」

 祐巳は、自分が薔薇の館に入るに入れずにいたときのことを思い出していた。
祥子さまの妹になる前のことを考えれば、薔薇の館の住人に対して、恥ずか
しいやらおそれ多いやらで、困り事なんか言い出せやしないだろう。いくらつ
ぼみ<ブゥトン>の祐巳や由乃さんが薔薇さまと比較して親しみやすいと思わ
れていても、だ。
 薔薇の館のまわりにわいわいと集まっているのは、ほとんどは雰囲気組とい
うか、なんとなく由乃さんを応援する一年生。たまにポストに手紙を入れる子
もいるが、それもほとんどはファンレターやラブレターもどきのもの。なにし
ろ、そこに投函すればつぼみ<ブゥトン>が開いて読んでくれるのが確実なの
だから。由乃さん宛のもののほか、祐巳宛のものもあったし、乃梨子ちゃん宛
には二年生や三年生とおぼしき差出人から。さらに、本来この企画に参加しな
いとリリアンかわら版で明言されていた三薔薇、祥子さまや令さま、志摩子さ
んを宛名にしたものも少なくない。まあ、気持ちはわかるのだけれど。
 唯一の救いは、ラブレター系の手紙の差出人はほとんど放課後に姿を現すこ
とはないというところ。さすがに企画違いという自覚はあるらしい。何人かは
「がんばってください」と調理実習のクッキーの差し入れなどを持ってきてく
れて、それはそれで嬉しいことではあるが、これがもし全員だったらとても対
応しきれない。
 結局、今のところ一番困っているのは、そういう来客にお茶を入れたり忙し
い乃梨子ちゃんと祐巳の二人ということのようだ。由乃さんは放課後は剣道部
の練習であまりいないので、来訪者の応対はもっぱら紅と白のつぼみ<ブゥト
ン>がしているが、深刻な困り事はこれまでのところ一つも寄せられていない
ので問題はなかった。困り事系のものも、ほとんどは祐巳たちが話しを聞いて
いるうちに、当人が言うだけ言って考えがまとまるのか「もうちょっといろい
ろやってみます」といった感じになってそれなりに解決していた。解決後は雑
談でもよかったのだが、せっかく薔薇の館にやってきたのだからと、お客人が
一年生なら文化祭の出し物の相談に乗ったり、二年や三年ならクラスや各部活
動の文化祭準備の進み具合の確認などをしていた。そんなこんなで由乃さんが
言っていた表向きの理由が本当になってきた感じもあってか、祥子さまもこの
企画についての文句をあまり言わなくなっていた。
 放課後、部活が終わった由乃さんが薔薇の館に来ると、いちおうそれぞれの
相談の内容と顛末を話して聞かせていたが、どれもこれも由乃さんには物足り
ないらしい。つまんないという表情をありありと浮かべる由乃さんに、「あた
りまえでしょ」と祐巳は笑った。そうそう由乃さんが岡っ引きモードを全開に
できる事件などありはしない。
 やっぱりリリアンは平和なのだ。

    §    §    §

 あれ、今日は一通だけですね?では、私、乃梨子がチェックさせていただき
ましょう。

「最近、誰もいなくなったあとの教室に、人が入り込んでるみたいなんです。
みんなは気のせいじゃない?と言うんですけど、窓のさんに土が付いていたり、
人がいないはずなのに物音がしたり。ものがなくなったりとかはしなくて、
はっきり証拠があるわけでもなくて、先生に言って大事にするのもちょっと気
が引けて・・・その前にみなさまにご相談申し上げるのがよいかと思い、この
手紙を送ることにした次第です」

 差出人は、一年藤組の山村妙子、とあった。同じ一年ながら乃梨子にその名
前の覚えはなかったが、そもそも乃梨子の場合、高等部からの入学でしかもあ
まり人づきあいがあるわけでもないので、別のクラスの生徒について顔のイメ
ージも浮かばないのも仕方ない。

「これよ、これを待っていたのよ」

 向かいに座ってお弁当を食べていた由乃さまは、箸を握りしめて興奮してい
た。その横で、祐巳さまがちょっと不安そうな表情で由乃さまの方を見ている。
確かに、これまでにないタイプの相談内容であったが、椿組の乃梨子は身の
回りでそういう不審事が起きているなんて聞いたことがなかった。ただ、藤組
で本当にそういうことが起きているなら、確かに気味の悪い話である。

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 放課後、この手紙の主である山村妙子さんがあらわれたので、念のため確認
したところ、確かに自分がその手紙を出した、ということだった。どうやらい
たずらではないらしい。しばらくして由乃さまが薔薇の館に姿をあらわした。
由乃さまは剣道部ではほとんど新入生同然ということで、部活をそうそう抜け
られない。それで妙子さんにはちょっと残ってもらっていたのだった。

「残っていただいて申し訳なかったわね」

 と、ひととおり話を聞き終えて由乃さま。調査結果は後日の報告ということ
で、妙子さんには今日のところは帰ってもらうことになった。

「んじゃ、とりあえず現場検証ね」

 由乃さまが立ち上がる。あー、由乃さま楽しそうだな、と乃梨子が見ている
と、「ほら、二人とも来るの!」とせき立てられてしまった。祐巳さまも、びっ
くりしたような顔をしていた。それはそうだろう。みんなで調べに行くなん
て一言も聞いていなかったのだから。
 乃梨子たち三人が校舎に向かう頃には、外はすっかり夕焼け空になっていた。
 一年藤組の教室に入ったが、特に、不審なところはなかったように思う。

「きれいに掃除されちゃってるのね」

 祐巳さまがまわりを見回す。

「まあ、掃除の時間の後なんだから、当たり前よ」

 と由乃さまが返す。「これじゃ証拠調べも何もできないわね」とさほど残念
そうでもない口ぶりだった。まあ、それはやむを得ないだろう。なにしろ毎日
掃除をきちんとするのがリリアンの生徒のつとめなのだ。由乃さまもたいして
期待はしてなかったようで、現場の調査をそれ以上細かくやるつもりはなさそ
うだった。

「じゃあ、さっそく張り込みといきますか」

 そういうと、由乃さまは周辺の確認を始める。
 藤組のほか、念のため両隣のクラス、菊組と李組も覗いたが、どちらもみな
下校したか鞄を持って部活動に出たようで、誰もいない。窓もきちんと閉めら
れているので、ガラスを割られでもしないかぎり、窓から誰かが入ってくるお
それはなかった。
 それから乃梨子は、由乃さまと祐巳さまといっしょにちょっと離れた階段の
下に隠れた。
 物陰で張り込んでいると、やたらにゆっくりと時間が流れる感じがした。な
にしろ気づかれては張り込みにならないわけで、じーっと待っているわけだが、
これがまた、何か起きるまでは退屈きわまりない。しかも階段の下なんて、
外の風景も見えないのでひたすら壁をにらみながら「待ち」の状態なのである。
 廊下に差し込む夕焼けのオレンジが消え、あたりが薄暗くなってくる。いい
かげんじっとしてるのにも飽きてきたのか、祐巳さまが腕時計を指さしながら、
無言で由乃さまにアピールする。
 由乃さまが手のひらを開いて、「あと五分だけ」という口パクをしたときだっ
た。
 かたん・・・と、物音がした。
 その音は藤組ではなく、階段のすぐ隣の菊組から聞こえたように思う。
 音は由乃さまも祐巳さまも聞こえたようで、教室の方を指さしてから唇に人
さし指をあて、ゆっくりと菊組の後ろのドアに近寄っていく。
 おそるおそる覗いたが、そこには誰もいなかった。


 じゃあ、さっきの物音は・・・?


    §    §    §

 菊組の教室を調べていると、今度は藤組の方からガタンと音がした。
 祐巳は、ぎくりと表情を硬くしてほかの二人を見た。さっきの音は菊組では
なかったらしい。由乃さんも乃梨子ちゃんも、いっそう不安そうな表情をうか
べている。
 菊組の前の扉から出れば藤組はすぐ隣なのだが、この状況で物音を立てるの
はいかにも不安だったので、開けっ放しにしてある菊組の後ろの出入り口から
そーっと出て藤組に向かう。
 そうして、あと三メートルもいけば菊組の教室の中が覗ける、というところ
まできたときだった。

「ギャアアアアアアーーーーー!!!」

 突然に大きな雄叫びが廊下に響きわたったのは。
 瞬間、パニック状態となって駆け出した。雄叫びに重なるように悲鳴があがっ
たが、祐巳には自分の悲鳴なのか、ほかのつぼみ<ブゥトン>の悲鳴なのか
もわからない。ただただ、その場を離れるのでいっぱいいっぱいだったのだ。

    §    §    §

 気が付くと、祐巳たち三人のつぼみ<ブゥトン>は薔薇の館の前にいた。
 スカートのプリーツは立ち止まってぱたぱたとやれば元通りだが、めくれ返っ
た襟や、ばっさばさになった髪は、はしたなくも全力疾走の痕跡を残している。

「はぁはぁ・・・ねえ、守衛さん呼んできた方がいいかなあ」

 祐巳の息はまだ荒れたままだったが、ほかの二人もそれは同様だった。

「ん・・・ちょ、ちょっと・・・待って・・・とりあえず・・・」

 息があがったままの由乃さんが制する。

「でも・・・さっきのって・・・」

 乃梨子ちゃんはびっくりしたままの顔で固まっている。
 三人が顔を見合わせていたのは、ほんの数秒か数十秒といったところか。ざ
くざくと足音が近寄ってくるのが聞こえた祐巳は、びくりとしつつも音のする
方に目をやった。
 そこに見えたのは・・・


「あんたたち、廊下は走らない。ブゥトンがそんなでどうするのよ?」


 そこに見えたのは、あきれた顔で猫を抱っこしている支倉令さまだった。

「ああ・・・ランチ・・・」

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 要するに、妙子さんの手紙にあったあれは、ランチが教室の中をうろうろし
た足跡だったり、ランチがごそごそやっている物音であったのだ。だいたい、
窓から人間が侵入すれば靴跡がくっきりと残るから一目で分かるそうだ。

 そして、たまたまランチがひょいっと一年藤組の教室に入るのを見かけた令
さまが、ランチを外に連れ出そうと教室に入り、捕まえたところランチが
「ぎゃーーー」っと鳴いて・・・

 あとは廊下で勝手に私たちがパニクって全力疾走していったのを、令さまが
追いかけてきた、というのが真相であった。

 妙子さんには、窓枠の土も物音も、猫のしわざだとだけ伝えた。

 それからしばらくして、薔薇の館の入り口脇のポストは外され、貼り出され
ていた「よろず困りごと」の貼り紙も外された。

 令さまの提示した二週間という期間は短いかと思ったが、例の騒動のあとは
ハラハラしながら期日が過ぎるのを待っていたので妙に長かった気がする。結
局、その後もあれ以外はたいした相談事は持ち込まれていない。

 二週間前と違うのは、ちょっとだけ薔薇の館を訪ねてくる生徒が増えたこと。
そして由乃さんがちょっとだけおとなしく(?)なったこと。


 今日もリリアンは平和なのだった。





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